Bob Dylan



ボブ・ディランは誰でも知っているでしょうから、その出会いから。小学4年からポップスに目覚め、その頃はベンチャーズやらなにやら雑多に聴いていました。中学になっても、ツェッペリンとかロックと名のつくものは何でも聴いていました。しかし、中学3年に高石友也、岡林信康のフォークに出会い、その線からディランを知りました。その頃(1970年前後)CBSソニーが発足し、ディランのレコードを発売し始めました。しかし、友人にディラン好きがいて、そいつから借りたりしていたので、購入するのはずっと後でした。が、そんなことは枝葉末節で、その影響が音楽的なものに留まらないという意味では、ディランがいちばんです。三浦じゅんではないですが、ディランに勇気づけられ、慰められ、励まされてきました。

契約のためかどうか知りませんが、どうでもよいようなアルバムもあります、とくに80年代以降は。しかし、ディランの才能はソングライティングはもちろんですが、ボーカルのすごみにあると思うのです。初期のディランであれば、武道館でもマジソンスクエアガーデンでも、ギター1本とボーカルで、場内をシーンとさせる説得力があったでしょう。それは最近発表されているブートレッグシリーズを聴けば、はっきりわかります。ディランに限らず、私たちが音楽を聴いて感動するとき、メロディや詞(意味がわかんなくても)だけでなく、そのボーカルに魅せられている、説き伏せられているのではないでしょうか。

ディランの有名な逸話に、「フォークからロックへの転向」というのがあります。ブートレッグシリーズで、そのあたりの音源も発掘されていますが、その音から伝わってくるのは、「エレクトリックで間違いない」という確信と自信です。政治的には革新的だったはずのフォークファンが保守化して、エレクトリック・ディランを非難する中、まったく動じていない(まあ、音では動じていないですが、オフステージでは結構こたえているさまが「No Direction Home」に映像でありました)。

ビートルズの影響があったということですが、「感性で嗅ぎ取ったことを持続させる理性」とでも言うんでしょうかね。まあ当時のフォークファンを、今の時点から簡単に非難はできないですが、ディランの正当性は、その後の音楽状況、時代が証明している。

こんなに好きなディランですが、全部そろってはいません。レコード・CD合わせて50枚。